宗教法人西方寺

地域に根ざした博多の浄土宗のお寺として法事・年間行事でも教えの本義について伝授

博多の浄土宗・浄土宗西方寺の評判

「自身の至らなさ」に気づくことが大事です 

博多の浄土宗・浄土宗西方寺の評判

法然上人の教えを一人でも多くの檀家様にお伝えするべく、法事・年間行事・お彼岸などでも教えの本義についてしっかりお話しています。
心から救いを求める気持ちで「お念仏」を唱えることで、誰もが悩み・苦しみから解放されていくというのが教えの基本ですが、そこで大事になることは「自身の至らなさ」に気づくことです。自分の力だけでは心の平安は得られないと謙虚に思える素直な気持ちが、一心に仏の救いを求める気持ちの入り口になります。


心から「お念仏」を唱えることで誰もが悩み・苦しみから解放 

仏教の世界では多くの教えが説かれていますが、どの教えについても共通して言えることは、想念転換・気付き(悟り)を得て、悩み・苦しみから解放されて平安に至ること(涅槃寂静)を目的としています。しかし、こうした境地にたどり着くには相応の勉強や修行が必要なのではないか、と考えるのが一般的な発想です。確かに仏教の教えを説いた書籍などを独力で理解するのは難しいと言え、専門家に教えを乞うとなっても時間や手間が掛かり、普段の生活を営みながら道を求めていくのは様々な制約があります。
そうした実情を鑑みますと、やはり一般人が仏の世界に触れるのは無理なのではないかと結論づけてしまうのも無理はありません。しかし法然上人が説いたこの「お念仏」の教えは、仏の世界につながりたいと想うのであれば、心から「お念仏」を唱えることで誰もが仏に通じ、悩み・苦しみから解放されて救われるというものです。

法事などでも教えの本義についてしっかり説いてまいります 

仏の根本的な教えでは、悩み・苦しみに囚われて平安を得られない根本的な原因は、煩悩という「心の迷い、心をかき乱す妄念・欲望」が想念転換・気付き(悟り)の妨げになっているからであると説かれています。その理を受け、「お念仏」の教えでは、西方極楽浄土におわします阿弥陀仏(阿弥陀如来)が、「あらゆる悩み・苦しみから解放されて極楽浄土へたどり着きたいのであれば、どのような者でも阿弥陀仏の名を唱えることで、煩悩の有無に関係なく必ず導きます」と誓約(本願)している、と説いています。
「お念仏」の文言は「南無阿弥陀仏」です。「南無」はこの上ない最大級の尊敬を表しており、心から頼る気持ちでこの「お念仏」を唱えることで、「阿弥陀様、どうぞ悩み・苦しみのない平安にお導きください」という想いが通じていきます。法事・年間行事・お彼岸などでもこうした教えについて、しっかり説いてまいります。

法然上人の教えを一人でも多くの檀家様にお伝えしていきます 

法然上人の教えの本尊とされる阿弥陀仏(阿弥陀如来)や極楽浄土については、無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経で説かれており、これらの経典を「お念仏」の教えのよりどころとしています。各種法要では主にこれらの経典が読み上げられています。また法事・年間行事・お彼岸では、故人様・ご先祖様の救いだけでなく、檀家様自身の生き方・心の安らぎについても触れています。
法然上人の教えは、「南無阿弥陀仏」を唱えることで誰もが阿弥陀仏(阿弥陀如来)がおわします「西方極楽浄土」に往生できるというものです。これは故人様・ご先祖様のお救いだけでなく、現在生きて生活している檀家様のお救いも意味しています。法然上人の教えは、生きながらにして救われるという点が大事な本義となります。「煩悩を捨てられない至らない者こそ、素直に助けを求められるので救われるのだ」という教えを一人でも多くの檀家様にお伝えしていきます。

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