素直な気持ちがあれば誰でも仏の救いに触れられます
博多の浄土宗・浄土宗西方寺の口コミ情報
「お念仏」は誰でも実践できるシンプルな教えです。「南無阿弥陀仏」を称名するだけで、お亡くなりになった方々の極楽往生を祈るだけでなく、普段現世で生活している方々も救われていくというのが教えの本義です。
そうした法然上人の教えを基に、檀家様が安心できる法事・供養を行ってまいります。仏教というと一般の方々からは敷居が高い印象を持たれることがありますが、法然上人の「お念仏」の教えは、素直な気持ちがあれば誰でも仏の救いに触れられます。
檀家様が安心できる法事・供養を行ってまいります
「お念仏」を唱えて、阿弥陀仏(阿弥陀如来)がいらっしゃる「西方極楽浄土」につながっていく(生まれてゆく、往生する)ことを願う、という教えが宗祖である法然上人の教えです。仏の教えというと一般の生活を送っている方が理解するのは難しいように囚われがちですが、法然上人はこの仏の救いを誰もが(衆生の方が)、皆平等に救われる(大乗)ものとして広めたいと願い、確信(悟り)を持って説いたのがこの「お念仏」というきわめてシンプルな教えです。
「お念仏」の教えは、誰でも一念に「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われるという、老若男女問わず誰でも実践できる教えです。無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経を教えのよりどころとし、法事・年間行事・お彼岸などではこれらの経典を読経いたします。門戸の広い「お念仏」の教えを基に、阿弥陀仏(阿弥陀如来)のお導きの下で、檀家様が安心できる法事・供養を行ってまいります。
「お念仏」は誰でも実践できるシンプルな教えです
お釈迦様が世の理を説法されてから、約2,500年余の年月を経てきた現在において、多くの仏弟子がお釈迦様のみ教えを引き継ぎ、世に広めてまいりました。お釈迦様のみ教えは分かりやすいお話でありながらも物事の本質をついているため、その真義は深奥を極めた内容です。そのため、仏弟子が説く内容も様々角度からそのみ教えをかみ砕き、教え説かれてまいりました。
そうした経緯があるため、本来は誰にでも理解できるように(悟れるように)分かりやすくお話しいただいたお釈迦様のみ教えも、仏弟子の研究が進むとともに難しく説かれるようになったという側面があります。法然上人の「お念仏」の教えは衆生の方が誰でも実践でき、煩悩を捨てきれない至らない自身であるからこそ、それを素直に認めて一心に阿弥陀仏(阿弥陀如来)におすがりすることで、誰でも心の平安を得られるというシンプルな教えです。
普段生活している方々も救われていくのが教えの本義
法然上人には、「煩悩に迷わされている凡夫だからこそ、阿弥陀仏(阿弥陀如来)がお示しになる極楽浄土に到達できる道があるはずである」という想いがありました。お父様の遺言である「万民の救いが得られる教えを追求するべきである」というお言葉を支えとし、そうした想いを貫きながら飽くなき研究に身を捧げた結果、この誰もが実践できる「お念仏」というシンプルな教えにたどり着き、1175年に自身の教えとして世に広めるに至っています。
法事は基本的に故人様・ご先祖様をご供養する行事ですが、「お念仏」の教えでは特に、阿弥陀仏(阿弥陀如来)のお導きの下で、檀家様・故人様・ご先祖様の平安を祈念いたします。故人様・ご先祖様の追善供養という意味だけではなく、「お念仏」を唱える檀家様の救い・平安も併せて祈ってまいります。「お念仏」の教えに触れながら、普段生活している方々も救われていくのが教えの本義です。