宗教法人西方寺

一般の方こそ救われるという浄土宗の教えを博多の皆様にお伝えしてまいります

博多の浄土宗・浄土宗西方寺のお客様の声

檀家様が安心して人生を送れるよう見守ってまいります 

博多の浄土宗・浄土宗西方寺のお客様の声

地域に根ざしたお寺として近隣の皆様からもご信頼いただく中、檀家様の気持ちに寄り添いながら、安寧な生き方ができるよう心を込めて導いてまいりました。誰でも実践できる法然上人の「お念仏」の教えは、一般の方こそ救われるという開かれた教えです。
法然上人の教えは、亡くなった方々の往生と併せて、普段の生活で苦労と不安に苛まれながら暮らしている方々の平安も導いています。今後も近隣の皆様が大安心を持って人生を送れるよう、見守ってまいります。


誰でも実践できる「お念仏」の教えを説いています 

宗祖である法然上人は1133年(平安時代末)に、美作国(現在の岡山県)に武士の子として誕生しています。若い内から天台宗の本山である比叡山延暦寺で学業と修行に励み、数年で学僧のトップという意味の「智慧第一」と称されるまでに至ります。ところが、それだけ周りから羨望の眼差しで見られるほどの成果を上げながら、法然上人は自身を「凡夫」と評価し、まだまだ煩悩を断ち切れずに無明に陥っている、悟れない人間の一人であると厳しく諫めながら救いの道を模索されました。
そうした悟れない「凡夫」である自身のような者でも救われる方法、本当に困っている人が救われる、誰でも実践できる方法を追い求め、確信に至ったのが「お念仏」の教えです。法事・年間行事・お彼岸では故人様・ご先祖様の供養だけでなく、檀家様が安心して普段の生活を送れるよう、幸せ・生き方などについて檀家様の心に寄り添ってお話してまいります。

「お念仏」はごく一般の方こそ救われる開かれた教え 

「幸せな人生を送るにはどうすれば良いのか」というテーマは万人に共通する普遍的なテーマです。仏の教えではそうしたテーマと向き合うために、自身の意志ではどうにもならない「死」を引き合いにだして悟りに導いています。生きている間の問題は自身の努力や裁量によって解決に取り組めますが、「死」は誰の力も及ばない事象です。この自身ではどうにもならない「死」において、無条件で極楽浄土で平安を迎えられるという解決策を提案しているところに、「お念仏」の本当の救いがあります。
仏の道は自身の人生をその道にかけた、限られた者しか悟れないという厳しいイメージをお持ちの方もいるとお察しします。しかし法然上人は、ごく一般の煩悩に迷わされて不安におびえている方々こそ、救いが必要であるとお考えになりました。「お念仏」はどのような方でも実践できる、万人に開かれた救いの教えです。

檀家様の幸せについて心に寄り添いながら導いてまいります 

阿弥陀仏(阿弥陀如来)の「阿弥陀」は、無量の光、無限の命を意味しています。極楽浄土に至ることを「往生」と言いますが、「往生」は生命が尽きることを指しているのではなく、死を迎えることで阿弥陀仏に守られながら、尊い新たな命として再び始まっていくという、ポジティブなイメージを説いています。そうした積極的な想いを持てることで、自身が生きている「今日」を感謝して過ごしていけるようになります。
法事あるいはご自宅の仏壇などで、そうした教えに想いを馳せながら、心の阿弥陀仏(阿弥陀如来)に「お念仏」をお唱えすることで、自身・故人様・ご先祖様の心の安らぎにつながってまいります。法然上人は「このような未熟な自分を阿弥陀如来様に救ってほしい」という素直な想いで、「お念仏」を唱えることで誰でも「極楽浄土」に通じると説いています。今後も檀家様の幸せについて、心に寄り添いながら導いてまいります。

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